曲目解説

1.根笹派錦風流 『松風』
  Nezasaha Kimpuryu "Matsukaze"
2. 京都明暗寺 『紫鈴法』
  Kyoto Myoanji "Murasaki Reiho"
3. 越後明暗寺 『三谷』
  Echigo Myoanji "Sanya"
4. 一朝軒 『盤渉』
  Icchoken "Banshiki"
5. 布袋軒 『三谷』
  Futaiken "Sanya"
6. 普大寺 『虚空』
  Fudaiji "Koku"

1. 根笹派錦風流 『松風』
  <2尺, 筒音C>

 青森県弘前市は、善養寺惠介の名付け親でもある神如道の故郷。虚無僧寺のない、
この津軽に伝承された尺八が根笹派錦風流である。かつては「大音笹流」とも称した
ところから「根笹派」という虚無僧の一派の名が付けられたようだ。コミ吹きという
吹き方、「ツ」から「ロ」に移るときのチギリ(ツギリ)が特徴で、2尺管で吹かれる
ことが多い。
 津軽の尺八は、南部の虚無僧某が伝えたところに始まるという。その後、9代藩主・
津軽寧親の命で、吉崎好道が江戸で栗原錦風から尺八を習う。「錦風流」の名前はこ
こから来たと言えるが、江戸の曲は伝わらなかったようで、現在の伝承曲をみると、
奥州から入ったと思われる曲が多い。
 その中で「松風」は、尺八本曲では他に類を見ない曲名で、どのような経路で津軽に
入ったのか不明である。感情が高ぶるような高音がなく、落ち着いた曲調で、意外にも
津軽の尺八家が特に好んだ曲である。根笹派では曲の前吹きに「調」を奏するが、
この「松風」だけは「松風の調」という前吹きが付いている。それだけ特別な曲とも言える。

2. 京都明暗寺 『紫鈴法』
  <1尺8寸, 筒音D>

 京都の虚霊山明暗寺は、三十三間堂の向かいにあった虚無僧寺で、虚竹派の本寺。
関西、中国地方を勢力下に置いていた。京都は宇治の朗庵伝説から続く数々の虚無僧
伝説の中心地であり、虚無僧(薦僧)はここで発生したのではないかと思われる。
 古くから「フホウエヤイ」という一節切の譜を援用した尺八譜を持っており、
その意味でも先進地だった。同寺の本曲(本手)は「明暗的伝」曲として36曲があったが、
「紫鈴法」はその中にはなく、虚無僧の最後的存在と言われた勝浦正山の伝承によるもの。
「明暗的伝」の外にある軽い曲だったようだ。リズミカルな曲で、明治時代の刊行譜に
「紫」という曲があるが、元は同じ曲であったろう。同様に「カラカラカラカラ」と
一孔を連打する手が特徴だ。
 一休作と言われるが、一休の吹いたのは、一節切で虚無僧尺八ではないし、文献的な

資料も一切ない。

ただ、何となく楽しい曲でもあるので、「紫」と「紫野」の大徳寺を結びつけて、
とんち話の「一休さん」をイメージしたらいいのかも知れない。

3. 越後明暗寺 『三谷』
  <2尺4寸5分, 筒音A>

 新潟県下田村(05年3月三条市と合併予定)にあった秀峰山明暗寺は、唯一の
世襲の虚無僧寺で、住職は「堀田」姓を名乗っていた。現在も寺の跡地には墓石が
保存され、また、県内各地には本堂や庫裡、普化像のほか、尺八や本則など関係する
遺物や記録が数多く残っており、虚無僧史研究の上でも非常に貴重である。
 安政4年(1857)、40年もかけて仇討ちをしたことで有名な、新発田藩・
久米幸太郎が仇の滝沢休右衛門を探しに全国を回るため、この寺に入門している。
また明治時代、奥州の名人と謳われた、神保政之輔もここの虚無僧で、最後の住職・
堀田侍川と神保が作曲したと言われる「奥州三谷」(俗に神保三谷)という曲は現在も
よく吹かれている。
 越後明暗流の斎川梅翁は15歳の時から明暗寺の虚無僧についてこの「三谷」と
「鈴慕」の2曲を学んだという。東日本各地に残る「三谷」と同様、
竹調−本手−高音−鉢返といった旋律を持つが、梅翁の工夫であろうか、指法もハデで
抑揚も大きく、非常に華やかな曲となっている。

4. 一朝軒 『盤渉』
  <1尺9寸, 筒音D♭>

 福岡市博多の普門山一朝軒は、仙 も出入りした寺で「普化(吹け)ど変わらぬ
尺八(たけ)の音は千代の松原つるの巣籠り」などとうたったという。明治4年
(1871)、太政官布告により普化宗が廃宗になった後も、他の虚無僧寺のように
霧散するのではなく、一朝軒だけは厳然と存在し続け、虚無僧が葬儀の先導をつとめる
風習があったという。その時吹かれたのが「盤渉」である。琴古流「盤渉調」と
元は同じ曲であったろう。
この曲の主音は「リ」で、この音は九州人が最も好む音と言われる。
初めは乙音で、次いで同じ旋律を一オクターブ上げて甲音で繰り返す。
そして「大乙」の手という乙音の旋律で終わる。この曲は一朝軒の遺徒で、
後に琴古流に入った斎藤古今から神如道が伝承した。
 この曲をなぜ「盤渉」かというと、九州ではよく一尺九寸を用いるが、その一尺九寸の
「リ」の音程が盤渉に当たるという。古来より盤渉は秋の音と言われ、
悲哀な音であるところから葬儀に用いられたのではなかろうか。
吹き方は素朴な「虚吹」である。

5. 布袋軒 『三谷』
  <2尺4寸5分, 筒音A>

 虚空山布袋軒は仙台の南、宮城県名取市増田にあった奥州の要となる虚無僧寺。
仙台市中にも番所を持っていた。現在、仙台中心部にある「芭蕉の辻」は、芭蕉という
虚無僧が伊達政宗から建物を与えられた札の辻のことで、俳人・松尾芭蕉とは
何の関係もない。
芭蕉は後に増田に隠遁して「不退軒」と号したという。これが布袋軒の元である。
 布袋軒の伝曲は、「鈴慕」「三谷」「鶴の巣籠」などがあったが、人によって多少の
違いがある。この「三谷」は小梨錦水伝のもので、彼はこれを布袋軒の衣鉢を

伝えたという黒沢照雲から教わった。吹き方の特徴は「底ユリ」という息ユリである。

コミのように激しくはないが、地の底からわき出てくるようなユリは他に類を見ない。
「越後三谷」と同様の曲の構成だが、繰り返される高音の哀切感が独特で、
まさに奥州調のしみじみとした落ち着いた名曲である。

6. 普大寺 『虚空』
  <2尺4寸5分, 筒音A>

 鈴鐸山普大寺は、静岡県浜松市にあった寺で、玉堂、梅山というこの寺の虚無僧が
名古屋で兼友西園らに教えたので、西園流本曲11曲を普大寺系の曲としている。
後に西園門人の樋口対山が京都に出て明暗教会の指導者(現在は明暗35世としている)
となり、「明暗対山派」、いわゆる「明暗流」の曲ともなったので、本曲愛好家の間では
最もポピュラーな曲である。
 「虚空」は古伝三曲の一曲で、西園流では極めて長い曲だったが、対山は後にこれを
二分し、前半が「虚空」、後半が独立して「虎嘯虚空」となった。神如道が誰から
習ったのかよく分からない。後半部がない「虚空」というところから察するに、対山派の
人物ということになりそうだが、曲の半ば、及び終止部にある旋律の順番が対山派とは
違っている。この辺も本曲の持ついい加減さであろうか。吹き方は冒頭の一節を聞いて
分かるように「楔吹き」という楔形にすっきりと吹く。格式のある端正な名曲である。